バンッと勢いよく扉が開いた。青緑の髪をなびかせて、グレイが真剣な面持ちで入ってきた。くつろいでいたトビトとバッチェスは何事かとグレイを見やる。 「アルザ様は!?」
「彼なら先ほどユト様と散歩に出られましたが……」 「“今も”この城におられますか!?」 「今も……?グレイ、それはどういうことです?」 グレイは腕を組むと落ち着きなく部屋を歩いた。彼女にしては珍しく焦燥の色が見える。しばし黙り込んだ後、バッチェスをじっと見つめて口を開いた。
「あの阿呆が……ダリュ王が、いなくなったのです。消えたと言ったほうが正しいかもしれません。突然白い光が彼を包んで、そのまま忽然と……。もしかしたらアルザ王の仕業かとも思ったのですが」 バッチェスは口に手を当てた。あの王は突然悪戯を思いつくから、彼の仕業でないとは言い切れない。 「どうでしょうねえ……とりあえず探させましょうか。本人が見つからないことにはどうしようもない」
その日トビトや兵士たちがアウグスタ城を隅々まで探して回ったが、ダリュ、アルザ、そしてユトの姿までも見当たらなかった。
瞼が重い。いつの間にか眠ってしまったのだろうか。目をこじ開けるとうっすらと青空が見えた。 ふわふわと宙を漂っているような浮遊感。 それは突然、腹のあたりがすうっと冷たくなるような感覚に変わった。
落下している。
「う、わ……!?」 アルザは衝撃を覚悟したが、思いのほか柔らかい土の上に落ちたらしい。節々の鈍痛はあるが惨事は免れた。ぼーっとする頭を振り、状況を把握しようと試みる。
「……おい」 自分の下から声がした。 「聞いてるのかお前ら!いい加減人の上からどけ!!」 「お、俺もそろそろ起きたいんだけどアルザが……」 「ダリュ、ユト……?」 アルザが落ちてきたところはユトの背中だった。さらにその下、二人の下敷きになってダリュがうつ伏せに倒れていた。アルザが動こうとすると左足首に激痛が走った。着地の仕方がまずかったかもしれない。とりあえず二人の上から降りるとそのまま座りこんだ。ユトもずるずると体をずらしてダリュの上からどいた。ダリュが大きく息をつきながら体を起こした。彼とアルザは会議で着ていた礼服のままだ。
「ええと、どういうことなんだ?」 「確か僕とユトが光に包まれて……それからはよく覚えてないけど。気づいたら落ちてた」 「俺もだ。どこだここは?どう見てもアウグスタ城内じゃないが」
周りは岩壁で囲まれている。どうやら深い穴に落ちたようだ。上を見上げると、穴の入り口らしきところから空が見える。かなり高いところにある。そこからわずかに入ってくる日光だけが三人のいる穴の底を照らしていた。遠くで風の音がしている。掴まることができるほどの大きな突起はなく、壁を登ることは不可能だった。
ひたひたと岩を這うような音がした。 三人は音のするほうを振り返り、じっと目を凝らす。ずっと奥のほうに橙の灯りが見えた。暗くて気づかなかったが、横に長く伸びた洞窟があるようだ。灯りはゆらゆらと揺れながら近づいてくる。 「リス?」
音の正体は体長1メートル程の巨大なリスだった。大きな尻尾を左右に振りながらよたよたと歩いている。銅のコップに入れたキャンドルに火を灯している。古びたカーテンで作ったような燕尾のジャケットを着て、頭にはつぎはぎだらけのシルクハットをのせている。三人の前まで来るとリスは胸を張り咳払いをした。
「諸君!ようこそ魔族の楽園へ!!私は見ての通りリスだ。名はストラディヴァリ。姓はポルケウス。私を呼ぶときには称号は付けずとも結構。さ、ついてきたまえ!」 くるりと向きを変え、ストラディヴァリは来たときと同じように体を揺すりながら洞窟の奥へと歩いてゆく。アルザたちは顔を見合わせた。
「おい、どうする?ついてこいだとよ」 「怪しい。それ以前にたとえリスでも嫌いなんだよねああいう偉そうなタイプ!称号なんて“木の上の”で十分だろ、木の上のポルケウス」 「でもさ、ここでじっとしてても……いや、でもやっぱり怪しいよなあ」
三人がついてきていない事に気づいたストラディヴァリが呼んでいる。ダリュが立ち上がり服についた土を払った。ユトも続いて立ち上がる。 「罠ってわけでもなさそうだが。俺は行ってみるぞ」 「らちが明かないし俺も。危なそうだったら逃げるよ」 「……僕は後から行くから。二人とも先行っといて」
ダリュがアルザを見下ろす。アルザは座り込んだままだ。どこかおかしい。ダリュがおもむろにアルザの両足を掴んだ。アルザは痛みに一瞬息を詰まらせる。やっぱりな、とダリュはため息をついた。 「……早く言えってんだよそういう事は」 ユトも心配そうに顔を覗き込む。 「アルザ、足どうかしたのか?」
「……分からないけど、捻ったかどうかしたみたいだ」 ストラディヴァリが遠くのほうで大声を張り上げている。灯りも大分小さくなった。このままだと真っ暗な闇の中を手探りで進むはめになるかもしれない。ダリュはアルザの前で後ろ向きにしゃがんだ。
「乗れ」 アルザは目の前の頭を思い切り殴った。痛めた足に多少響いたが。 「いっ……てえなコラ!乗れっつってんだから乗れよ!!怪我人は大人しくしとけ!」 「嫌に決まってるだろ!ここまできみが馬鹿だとは思わなかったよ!!」 「誰が馬鹿だ!!お前歩けねえんだろうが!」 「だから後から行くって言ってるだろ!!」
ぎゃあぎゃあ言い争っている二人を横目に、ユトは自分たちの他に誰もいなくてよかったと心底思った。ふと気づくともうあのリスの姿が全く見えない。キャンドルの灯りも微かに分かるだけで、今にも闇に消えてしまいそうだ。
「まずい、そろそろ本当に追いかけないと!」 その声で二人は我に返り、ダリュがアルザを引っ張るようにして背におぶった。アルザは心の底から嫌そうな顔をしているが、もう何も言わなかった。早く追いつかないと足元が暗くて危ないことこの上ない。ユトとダリュは足早にストラディヴァリの後姿を追った。自分たちの足音が響く。ようやく追いつくとキャンドルの灯りで洞窟の様子が分かった。数人が横に並んでも通れそうな広さだ。時折トカゲや小さな生き物が蠢いている。灰色の壁の所々に鉱物の結晶が見える。洞窟は長く続いた。二十分ほど歩き続けただろうか。奥のほうに明るい光が見えた。
「もうそろそろ到着だ。諸君は歓迎されておる!ゆっくり羽を伸ばすがいい」 背後でアルザが小さく暴言を吐いた気がしたが、ダリュは何も聞かなかったふりをした。
洞窟を抜けると、そこには太古の遺跡を思わせるような巨大な空洞があった。頭上には氷柱のような岩が今にも落ちてきそうに垂れ下がっている。何万年もかけて自然に造られた、大きな灰色の岩柱の向こうにはさらに空間が続いていた。一国の城すらも収まってしまいそうな広さだ。息を吸い込めば冷たく澄んだ空気が肺に流れ込んでくる。地上のように明るいが、それは天井付近を漂う発光生物が放つ光だった。中央には地底湖があり、透き通った水の中を人魚が泳いでいた。周囲の岸では様々な生き物が思い思いに過ごしている。ヒールの高いブーツを履いた、色っぽい猫がパイプをふかしている。その向かいでは小さなドワーフたちが並んで釣りをしていた。大きな岩の上では狼男が一角人と談笑している。吸血鬼の子供たちが飛び回り、発光生物を捕まえて遊んでいた。魔女・魔法使いの姿も多い。
2007.1.7 執筆
ユト君の一人称を「僕」と書いてしまっていた事に気づきました。2・2も訂正箇所ありそうだなあ(笑)意外と「俺」なんです「俺」!ダリュも俺、アルザは僕。ダリュがおんぶしました。彼は目つきと口悪いけど中身は結構いい人なので(´m`*)三人は魔族の洞窟に。魔族の方々が集ってます。すんごいでかくて広い空洞、なかなか表現できない・・・!荘厳さっていうかそういう偉大な空気を感じてください(←願望)
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