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MAJESTOXIC   <短編・赤に染まる>

 執務室の窓辺に佇んでいたエメがひどく咳き込んだ。
「エメ王、大丈夫ですか?」
 本を運んでいたバッチェスが駆け寄ろうとした。未だ荒い息をしながら、エメが片手を挙げてそれをを制止する。
「・・・大丈夫だ、ありがとう。どうも空気が乾燥しすぎているらしい」
「9月は特にそうですね。お水を持たせましょうか」
「いや、いい。ついさっき紅茶を三杯も飲んだからな」
 心配そうにしながらもバッチェスは自分の仕事に取り掛かった。エメは再び窓の外に目をやった。柔らかな風も去りゆく9月、雪の積もってないスピネ・エンデを見ることができるのもそろそろ終わりだ。夕日が城下町や山々を赤く染めている。高台に位置するこの城からは町のすべてを見渡すことが出来た。今頃人々は夕食の準備にいそしんでいることだろう。
 ふと目線を下にやり、エメは柔らかく微笑んだ。
「ずいぶん重たそうな花冠だな」
 バッチェスも手を止めて隣の窓から下を覗いた。小さな少年と少女が中庭に座っている。銀色の髪をした少年の頭には、ずいぶん多くの花を使って、それもそこそこ雑に作られたらしい冠が載っている。冠と言うよりはどっしりした帽子のようだった。動くと頭から落ちてしまうので、少年は小さな手でそれを支えていた。金色の髪をした少女はそれでもまだ足りないとばかりに辺りの花を摘んでいる。
「おや、ハルヴィエ様がお作りになったのですか?珍しいですね」
「ハルヴィエは割と不器用だからな。ああいうのはアルザのほうが上手なんだ」
 エメは心から幸せそうに笑った。金髪が夕日を受けて橙色に輝いている。とろけそうなほどの甘い甘い幸せが伝わってきて、普段仏頂面のバッチェスもつられて微笑む。臣下からも民からも慕われる賢君エメ王、その心からの笑顔を最近よく目にする。ナタリー王妃と結婚した当時もそうだったが、2人の子供が生まれるとさらに輪をかけて暖かく、幸せをかみ締めるような顔をするようになった。
「いつか、アルザが」
 エメが2人を見ながらぽつりと言った。
「いつか、アルザが俺の後を継いで王になるんだ。ハルヴィエは・・・そうだな、あの子の事だからこの城でじっとしてるのは嫌かもしれないな。ずっと遠いところを見て回りたがるかもしれない。まあ2人とも幸せならいいさ」
「どこかに嫁ぐ可能性もありますね」
 エメが勢いよく振り向いた。目が笑っていない。いささか青ざめているようにも見える。
「俺が認めた相手しか許さないからな!ハルヴィエも、アルザもだ!得体の知れない馬の骨なんぞに俺の子はやらん!!」
 私に言われましても、と呟いてバッチェスは本に目を戻した。目を合わせるとこの王の親ばかっぷりに笑ってしまいそうだ。2人が幸せならいい、とついさっき言ったばかりなのに。

「失礼いたします。エメ様、お薬の時間でございます」
 白髪交じりの初老の男が部屋に入ってきた。医者のフェルテン=ロートラウトだ。小瓶のいくつか載った銀の皿を手にしている。体の弱いエメのため、毎日決まった時間に薬を調合しに来ている。
「いつも悪いな、フェルテン」
「いいえ。医者として当然の務めですから」
 フェルテンはてきぱきと小瓶に入った液体をグラスに注いで薬を作り上げた。濃い赤色だ。
「綺麗な色だな」
 エメはグラスを受け取ると、一呼吸置いて一気に流し込んだ。
「少しずつでもよろしいのですよ?」
「・・・いや、これは一気にいかないと・・・薬草とか泥のにおいと言うか、魚の内臓の味と言うか、口の中が焼けそうな感じと言うか・・・まあ、いつもの味だったよ」
「薬というのはそういうものでございますから。この後は普段通り、静かにお休みになってくださいませ」
 フェルテンは整えられた口ひげを上品に曲げて笑った。小瓶を片付けると頭を下げ、部屋を出ていった。

 エメは執務机に寄りかかるとため息をついた。小さなため息だったが、それでもバッチェスは手を止めた。体調が悪いのだろうか?どんなに些細なことであっても、その次には王の体が気にかかる。こうやって執務室にいるときにもエメは幾度となく倒れていたので、バッチェスは仕事をするどころではなかった。エメが苦笑した。
「・・・別に気分は悪くないぞ?」
「それなら、何か憂いごとでも?」
 エメが机に腰掛けた。どこか虚ろな表情をしている。
「憂い・・・憂いと言うよりただの考え事だな。未来についての」
「未来ですか」
「ああ。俺が死んだ後のこと」
 バッチェスが目を見開く。困惑したような、怒っているような、そんな感情が見て取れた。
「・・・そのようなことを仰るのはやめていただきたい」
 エメが肩をすくめた。お前はそういうだろうと思ったよ、と呟く。
「誰だって、生きてるものはいつか死ぬだろ?俺だっていつか死ぬさ。その日が近いのかまだ先かは分からないが。塵は塵へ、だ。今考えてるのは俺が死んだ後、周りはどうなっていくのか」
 窓を見つめ、エメが独白するように淡々と話しだした。
「子供たちとナタリーは・・・悲しむだろうな。悲しむだろうが・・・それでも、きっとやっていける。三人とも芯はしっかりしているから。バッチェスや他の家臣たちもそうだろ?そして、王位はアルザが継ぐ。あの子はいい王になれるだろうな。ああ、その時は助けてやってくれよ」
 ガタッと音を立ててバッチェスが椅子から立ち上がった。
「遺言を残すには・・・まだ早すぎますよ」
「早すぎやしないさ。俺は特に・・・。まあ誰だって長生きできるに越したことは無いけどな。でも必ずいつかその日は来る。何にも言えずにこの世を去るよりは、まだ生き続ける者たちに一言でも残しておきたい」
 バッチェスはもう何も言わなかった。
「国を滅ぼすことなく、とりあえず皆が幸せに暮らしてくれればいい。国民もお前たちもだ。それぞれ自分の生をしっかり生ききってくれればいい。俺が死んでずっと時間が経てば・・・ああそうだ、バッチェス」
 エメの赤い目が楽しそうにバッチェスを見る。
「お前たち、俺が死んでからどのくらいで俺のことを忘れるんだ?」
 バッチェスは手にした本を王に投げつけようかと思った。何てことを聞くんだ。怒りが込み上げてきたが、何を言えばいいのか分からずしばらく閉口した。喉の奥から搾り出すように声を出す。
「・・・忘れることなど、出来るはずがありません」
 エメが困ったように笑った。
「すまん、意地悪い質問だった。ちょっと聞いてみたくてな・・・そうか、忘れられないか」
「当たり前です」
 にやりとしたと思ったら、エメは声を上げて笑い始めた。バッチェスはため息をついた。
「はあ、今度は何ですか」
「いや何でもな・・・ははは、そうだな、俺も忘れられるのは嫌だな。お前もそうだが、あの子たちには特に忘れて欲しくない。『パパってどんな人だったっけ』なんて言って欲しくないよ」
 エメは明るく鼻歌を歌いながら自室に続くドアへと向かった。ちょっと横になってくる、とバッチェスに言い残すとドアの向こうへ姿を消した。バッチェスは閉まったドアを見つめていたが、手元に目を戻すと自分の仕事に取り掛かった。

「忘れられないなら」
 いつの間にか、もうベッドで寝転んでいるだろうと思ったエメがドアの向こうから顔を覗かせていた。
「いっそのことずーっと覚えててくれ。俺の言葉から好物まで全部」
 それだけ言うと頭を引っ込めてドアを閉めた。今度こそ眠りにつくのだろう、ベッドの軋む音が微かに聞こえた。

 バッチェスは苦笑いした。言葉から好物まで全部、か。
「いくら私だってそれは難しいですよ、エメ様」
 一人の人間についてのこと全てなんて、到底覚えていられるものじゃない。でも、今という瞬間あなたがここにいたことを覚えておきましょう。あなたが笑い悲しみ喜んだ表情を。
 願わくば、“その日”がずっとずっと先、こんな言葉のやり取りがあったことすら忘れてしまうほど先であることを。





「まだ?ほら、東区の水門工事に関する書類はここまでだろ。今日はもういいんじゃないの」
「南区、東区まで来たらあとは西区だけじゃないですか。微々たるものでしょう。アルザ王、ただでさえ処理が遅れてますので絶対に今お願いします。今!」
 小さかった子供は成長し、一国の将来を担う立場にいる。あの時頭に載っていた花冠は白金の王冠へと変わり、先代と同じ赤い目をして。
「いいだろ、今日は山ほど仕事して疲れたんだから」
「普段真面目にやらないからですよ」
 先代とは決定的に違うところがひとつ。あまり仕事をしたがらない。
「まったく、エメ様が見たら嘆きますよ。ほら手を動かして!」
 顔をしかめて書類に目を通すアルザの様子を見ながら、バッチェスは執事の淹れた紅茶を飲んだ。
――本当に、あなたの忘れ形見には手を焼いていますよ。
 ふとした瞬間、アルザに亡き人の面影が重なる。そんな時は本当にどうしていいかわからなくなる。
「2人して私の頭をどこまで掻き回すつもりですかねえ」
 ぼそりと呟いた言葉にアルザが訝しげな顔をした。何でもありません、と言うとアルザは再び書類と格闘し始めた。バッチェスは窓の向こうに沈んでいく夕日を眺めながら、静かにそれを待っていた。







2007.6.9 執筆

アルザたちのパパ、エメとバッチェスのお話。このころからすでにバッチェスは結構重要な役職やってました。頭の切れる人なので出世が早い!(笑)エメ王は相当な愛妻家で親ばか。生前には家族そろっての微笑ましい姿が城のあちこちで見かけられました。彼と王妃のナタリーは戦争の最後に亡くなってしまい、14歳のアルザが即位。バッチェスは仕事を真面目にしないアルザに口うるさくしながらも一生懸命です。日常的に睡眠不足なひと。可哀想ですね!(←・・・)ダリュのパパ・ユトのパパとかも出てくる、パパたち世代のお話は他にもいくつか考えてます。いつか書きたい!

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