次の曲が始まるまでのわずかな時間。初々しい青年が恥ずかしそうに、それでもしっかりと相手の腰に手を添える。互いに見つめ合っては微笑む。熟年のペアは慣れた様子で優雅に佇んでいる。みな期待に満ちた面持ちで指揮棒が振り下ろされるのを待っていた。 その輪の片隅に雰囲気のよくない者たちがいた。一人はスピネ・エンデ軍隊長のセレ=エヴァンジェリン。伸ばしっぱなしにしていた金の髪を梳き、身なりを整えた姿はなかなか見ごたえがあった。長身なので礼服に威厳が増す。そしてもう一人はシュバルツァガル国の王、ダリュ=ベルトラム。こちらも国王らしく凛々しかった。その二人が睨み合っている。その横に顔を顰めたハルヴィエが立っていた。
「もう!何なの?もうすぐダンスが始まるんだからあっち行ってて」 「いや、そういうわけにはいかない。俺と踊ってくれハルヴィエ」 「だめ。セレと踊るんだから」 「俺のほうが上手いぞ」 「そんなことないわ」 「それに俺のほうがお前を愛している」 「……まあ、そりゃそうかもしれないけど」 「だから俺を選んでくれ」 ハルヴィエは少し目を泳がせてセレを見た。 「セレも何か言ってよ」 話を振られて少し動揺したらしく、セレは口を開きかけたが言葉が出てこない。この王女に引っ張られてここまで来たものの、自分の気持ちがどうあるのかが分からない。踊りたいのか踊りたくないのかすらさえも。
「……ハルヴィエ様のご意思に」
ダンスの輪に紛れこみ、アルザとスティフはその三人の様子を伺っていた。こちらはすでに踊る体勢まで整えている。男同士なのだがこの二人にはそんなことなど問題にならない。周りもアルザ王の性格を知っている者ばかりなので特に気にしてはいない。時おりクスッと笑い声は聞こえるが。 「セレ……その答えはどうかと思うよ」 「駄目だねえ本当に。色恋沙汰にはとことん手も足も出ないんだから」 陰に隠れつつ覗き見ていると、痺れを切らしたハルヴィエがセレの腕をぐいぐい引っ張って中央に移動したようだ。ダリュはその場から動かず、去っていくハルヴィエの後姿を見つめている。 「また振られたみたい」
アルザが呟くと同時に演奏が始まった。花のほころぶような明るいワルツ。各ペアが一斉に踊り始めた。アルザとスティフもくるくると上手に踊り、人と人の合間を縫うようにしてハルヴィエたちに近づいていった。セレはどうやら一応踊れるようだが動きがぎこちない。リードされる側であるハルヴィエがセレの動きをカバーしているようだ。 「セレ、下手くそ」 アルザが囁くとスティフがふっと笑った。 「ちょっと……応援してあげようか」 スティフはアルザをリードしつつセレの真後ろまで来て、セレの背に肩をぶつけた。突然の衝撃にセレが前のめりになる。 「!」 「きゃっ!」 前にいるハルヴィエを抱きしめるような格好になって、セレは慌てて身を離した。
「もっ、申し訳ありません!」 セレが後ろを振り返ると見覚えのあるウェーブのかかった金髪が人陰に消えた。 「セレ」 名を呼ばれて振り向けば、ハルヴィエがまっすぐな視線を向けてくる。二人の間に少しの沈黙があった。楽隊の奏でる音楽も踊る男女の靴音も耳には入ってこない。ハルヴィエがはっきりとした口調で言った。 「私、セレが好きよ」 再び沈黙が訪れる。それはほんの少しの間であったかもしれないが、二人にとっては長い長い時間だった。セレは言葉を探したが、頭の中に表れては消えていく靄を追いかけているようで何も言うことが出来ない。この王女が自分を好いていると。それは以前から何となく感じていたものではあったが、いざ口に出されるとどうしていいか分からない。ハルヴィエの薄紫色の瞳に自分の姿が映っていることにひどく狼狽した。
「嬉しいの、嬉しくないの」 ハルヴィエがセレの顔を両手で挟んだ。ずいっと顔を近づければセレが目を泳がせる。 「……嫌なら嫌でいいのよ。だから正直に言って」 「……嫌では、ありません」 セレが声を絞り出すように言った。ハルヴィエが先ほどの質問を繰り返す。 「あなたが好きよ。嬉しい?嬉しくない?」 セレは口をつぐんだ。そこが分からないのだ。ハルヴィエに対する自分の恋愛感情が。今まで恋愛対象として彼女を見たことはない。なぜなら、ハルヴィエは王女だ。忠誠を誓った絶対的な存在。そして彼女たちとその国を守る軍を率いるのがセレだ。恋愛感情なんて。家臣としてあるまじきことではないか。それに、歳だって一回りは違う。
「……ハルヴィエ様には私はふさわしくないと」 「どうして?」 「もっと若くて高貴な男性のほうが……」 ハルヴィエは目を丸くした。セレがそんなことを考えているなんて思いもよらなかったのだ。 「そんなの恋愛に関係ある?私はあなたが好きなのよ。身分とか歳とか、そんなの問題にならないわよ!」 「ですが」 「好きなの!セレが好きなのよ!悪い!?誰が何と言おうと好きなの!」 「しかし」 「何よ」 「……いえ、何も。お手を……」 セレが自分からハルヴィエをリードして再びダンスの輪に加わった。遠慮がちだった手つきも普段と変わらぬ無骨で、しかし優しいものになった。ハルヴィエが複雑そうな顔でセレを見た。私はあなたが好き。だけどあなたからの答えをまだ聞いていない。
「……まだ、自分の感情を整理できません。しかしあなたとこうしているのは……気恥ずかしいですが、とても暖かな気持ちになります」 セレは自分の言葉をひとつひとつ噛みしめるように言った。踊りながらそれをじっと聞いていたハルヴィエが満面の笑顔になる。 「それはきっと私を好きってことよ!私だってセレといるとそういう気持ちになるわ。心臓が熱くてドキドキうるさいの。こんなに近くにいたらあなたに聞こえるんじゃないかと思うくらい」 ハルヴィエが頬を赤く染めて早口にまくしたてた。思ったよりもいい返事を貰えた嬉しさに息を弾ませて。急にこの王女を愛しく思えてきて、セレはそんな自分に困ったように笑った。
「いい感じじゃない?」 メアリの言葉にアルザが頷く。 「そうだね。でもハルヴィエはセレのどこが好きなんだろ」 セレに肩をぶつけた後、スティフとアルザは二人して笑いを噛み殺しながら階段の下まで戻っていた。その後スティフは部下に呼ばれて大広間を出てゆき、アルザは偶然会ったメアリと踊っていた。もちろんハルヴィエたちの近くまで来て様子を伺いながら。 「さあ……惹かれるものはそれぞれだし」 メアリは藍色のドレスに身を包んでいた。上品な光沢があり、そう華やかではないがメアリのオリーブグリーンの髪と金色の瞳によく似合っていた。 「それにしても、何できみそんな色のドレス着てくるの?僕のマントと同じ青じゃないか」 「私の勝手でしょ!?オーレリーがくれたんだもの、これ以外持ってないのよ。そっちこそ服がいっぱいあるなら違うもの着てきなさいよ!お揃いにしたみたいで嫌だわ!」
「僕だって!そんな埃っぽいドレスとお揃いなんて勘弁してくれる?もっと綺麗なやつならいいけどさ」 「こっちの台詞よ!そんな……そんな……そんなのと!」 メアリはアルザの欠点を探そうとしたが何も見つからなかった。頭にのった王冠からブーツの先まで、高貴な雰囲気が漂っている。悔しいが何も言えない。確かに私のドレス、ちょっと埃っぽいかも……。何といってもオーレリーにこれを貰ってからの2ヶ月間、レルゾの底の片隅に置きっぱなしだった。 取りあった手を高く上げて女性陣がくるりと回った。男性陣はそれを待って再び相手の腰に手を添える。メアリが一回転したとき、肘のところでふくらんでいる袖がもぞもぞと動いた。微かに鳴き声が聞こえる。メアリが袖口を引っ張ってみると、中から顔を出したのは小さな小さな子鼠だった。親指の第一関節ほどの大きさしかない。
「ティニー!?どうしてこんなところにいるの!」 「ティニー、ねむってたの」 甲高い声で言うと、子鼠はメアリの手のひらから降りてちょろちょろと床を這っていった。今にも誰かの靴に踏み潰されそうだが、俊敏な動きでそれを避けている。見えなくなるまでその姿を目で追って、アルザとメアリは顔を見合わせた。なんだか可笑しくなってどちらともなく笑い始めた。 「メアリ、着たときに気づかなかった!?」 「全然!今まで袖の中にいたの!?潰さなくてよかったわ」 「あははは……ああ、おっかし……」
笑いが収まると、二人の間に気まずいような恥ずかしいような空気が流れた。同じくらいの背丈で密着しているので相手の顔が近い。 「……土臭いけど、でも似合ってるよ。ごちゃごちゃしたドレスよりそっちのほうが好き。落ち着いて見える」 「ありがとう。一言多いけど。あなたもすごく……すごく、その、何て言うか……素敵よ」 メアリは気持ちをどう伝えればいいのか分からないようにもごもごと言った。その言葉は簡素だが、本心からのものだと分かる。メアリの目はまっすぐにアルザを見ていた。 「口下手なところ、セレみたい」 「言葉にするの苦手なのよ……いろいろ考えたって伝えられないんだから、嫌になっちゃうわ」
それからステップを踏み出して、ターンして、体を寄せ合って。とりとめのない言葉を交わして。相手のことが少しずつ分かってきたような気がした。 (金の目が綺麗だ) (赤い目が綺麗ね) 目が合うたび、お互い同じ事を考えていた。
2007.9.10 執筆
告白シーンが書けて幸せです。(笑) セレもまんざらじゃなさそう。むしろ嬉しそう。いや、もう私が嬉しい(´∀`*)いいですねこういう幸せムードは!書いててすごく楽しいですね!メアリのドレスをどうするか決められなかったので絵に描いてみたりしました。でも実際あんまり描写してなかったりね!(爆)まあイメージを掴むためにはいいかもしれない。その場面を描いてみるとか。誰にも見せない絵ならガーっとラフで十分だし。話を書いてて「うぅぅ……どういう感じなんだろこれ」ってなっちゃったときにはとりあえず絵で描いてみようかな。
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